甘味と欲望

お菓子と狂言――笑いと甘味の世界比較文化論

「砂糖って、もともと毒だったんですか?」と、ある学生が私に尋ねました。おそらく『附子(ぶす)』を読んだばかりだったのでしょう。壺に入った“附子”という毒を見張るよう主人に言いつけられた太郎冠者と次郎冠者が、実はその正体が砂糖であると知り、食べてしまう……という、あの有名な狂言です。これはもちろん、砂糖が高級品であった時代の笑い話です。

では、なぜ砂糖が「毒」に見立てられたのでしょうか? これは、当時の人々にとって、それほどまでに甘味が珍しく、そして強烈なインパクトを持っていたからに違いありません。現代の私たちが「毒のように甘い」と形容するあの感覚、それを狂言はすでに700年前に描いていたのです。

■ 甘味=欲望=寓意――食べることの哲学

甘いものに惹かれるのは、生理的な欲求でありながら、文化的な意味合いも濃厚です。それは単なる「嗜好品」ではなく、「報酬」「特権」「誘惑」「禁忌」「祝福」といった象徴を帯びています。甘味とは、口に入る小宇宙。ひと口の甘さが、人生を語る鍵となり得るのです。

狂言に登場する甘味は、実に象徴的です。砂糖、餅、柿、栗、団子、芋、粽……それらは「物語の転換点」として機能し、時に登場人物の内面を暴露する道具ともなります。甘味に引き寄せられる人物たちは、決して「ただの食いしん坊」ではありません。彼らは、私たち自身です。欲望に揺れ、嘘をつき、ごまかし、そして笑われる――それが狂言なのです。

■ 世界の甘味文化と「食の演劇」

ここで視野を広げてみましょう。甘味とは、世界中で「文化を映す鏡」とされてきました。日本の狂言が甘味を“滑稽”の象徴とするなら、ヨーロッパでは“階級”の象徴、中国では“詩的情緒”の象徴、イスラム世界では“祝祭と儀式”の象徴です。

イタリアのトリノでは、チョコレートが貴族の社交の道具として発展しました。フランスでは、スイーツがバロック的美意識の結晶となり、デザートは「食卓のフィナーレ」として芸術に昇華されました。ドイツのクリスマスマーケットではシュトーレンが宗教的祝祭と結びつきます。

中国では、蓮の実やナツメの蜜煮、胡麻団子、月餅といった菓子が、詩と風雅を伴って味わわれます。中東のバクラヴァは、繊細なパイ生地の重なりが「人生の重層性」を象徴するとさえ言われます。

では、狂言における甘味は?――それは、俗っぽく、あけすけで、どこまでも“生身の人間”の象徴です。

■ 『附子』再考――甘味は倫理の試金石である

『附子』に登場する砂糖は、単なるごちそうではなく、“人間性のリトマス試験紙”です。

誰かが「これは毒だ」と言えば、疑いもせずに避ける者もいれば、「本当に毒なのか」とこっそり舐めてみる者もいます。味わってみて「ああ、これは美味い!」となれば、あとはもう止まらない。太郎冠者たちは、道徳や主従関係という社会的秩序よりも、“舌の歓び”を優先させてしまうのです。

現代の私たちはどうでしょう。目の前の快楽に負け、合理性や理性を言い訳にして、自らの欲望を正当化してはいないでしょうか?

『附子』の笑いは、甘味を通して人間の矛盾をえぐり出す、非常に哲学的な笑いです。

■ 『業平餅』再考――甘味と交換、欲望の美学

『業平餅』は、狂言の中でも一風変わった趣を持つ演目です。舞台は、平安時代初期の歌人・在原業平が、従者を伴って玉津島明神へ参詣に赴く途中の餅屋。

業平は餅を所望しますが、普段から金銭を持ち歩かない貴族。代金を求められて困ってしまいます。そこへ餅屋の亭主が「娘を京で宮仕えさせてもらえるなら、餅代はいらぬ」と申し出ます。こうして餅は貨幣ではなく「人との縁」や「出世の希望」と交換されるのです。

この作品は、甘味を巡る「贈与と交換」の構造を浮き彫りにしています。甘味はここで“取引の媒介”となり、社会的な関係を動かす道具として描かれるのです。

このような構図は、贈与論で知られる人類学者モースの『贈与論』にも通じます。物のやりとりは単なる商取引ではなく、社会関係や名誉、未来の可能性をも動かす――狂言はその構造を笑いに包みながら提示しているのです。

■ 哲学的補助線:「欲」は単なる欠如ではない

哲学者スピノザは、「欲望とは、自己の本質そのものだ」と述べました。つまり、人間は“足りないから欲する”のではなく、“生きているから欲する”のです。

狂言における甘味は、「欠乏の象徴」ではありません。むしろ、「生きている証」なのです。

そして面白いのは、その“生の肯定”が必ず笑いとともに現れるということ。欲望が全面に出る場面は、同時に滑稽さを帯びます。なぜなら、私たちは皆、欲を持ちながらも、それをどこか恥じ、隠し、滑稽に思ってしまう存在だからです。

だからこそ、狂言の登場人物は「人間らしい」。甘味は、欲望の可視化であり、それを笑うことで私たちは自分の姿を見つめ直しているのです。

■ 結語:甘味を通して人間を描く――笑いの中に哲学を

狂言におけるお菓子とは、単なる食べ物ではありません。それは、人間という存在の可笑しさ、美しさ、弱さ、そして強さを映し出す鏡です。

世界の甘味文化と比較することで、私たちは「食べること」「欲すること」「ごまかすこと」「笑われること」の根源的な普遍性に気づきます。

そして狂言は、それらすべてを包み込み、私たちに「笑いながら学ぶ」という極上の芸術体験を与えてくれるのです。

次に、何気なく口にするお菓子のひと口が、あなたの人生の一幕を語り出すかもしれません。

筆者 / Writer

AOJ企画 事務局の中の人

Nakano Hito

AOJの事務を一手に引き受ける人。評論家目指して修行中